ブログを書くということについて
なぜブログを書こうと思ったのかといえば久しぶりに他人のブログ記事を読んでみたら楽しかったから。
しかしブログ読むのがなぜ楽しいのか、実はよくわからない。自分でブログを書くなら、まずそのことについて少し考えてみるべきかもしれない。ブログなんて自己満足で書き散らすもので、それがなぜ面白いのか。
自分が最近読んだというのはGrimdawnという最近やってるゲームのプレイ日記である。ゆるくストーリーを追っているような日記的なブログだったのだがそれを読んでると結構楽しい気分になれた。記事を読んでいて何が楽しかったのか冷静に考えると、単純に読んでいてストーリーとかプレイの記憶が反芻できたからだ。
自分はゲームに限らず、作品に触れた後に、その感想をみて回るようなことはよくやる。アニメだったり小説だったり、旅行だったり音楽だったり。その時もまず楽しいのは自分の経験や感覚を再度蘇らせてくれるというところだ。
それにただ反芻するだけでなくその感覚に言葉をピタリと当ててくれる。自分の思っているようなことを直接言葉にしてくれるというのは案外ありがたいことなのではなかろうか。
その上で、自分と思うところが一致したり、自分にはなかったけど共感できるような感じ方を知れたり、というような楽しみ方も出てきたりする。
ブログを見て何が楽しいか その1(共感的面白さ):
- 自分の経験や感覚が反芻できる
- 他人が自分と同じ感想を持っているのが嬉しい
- 自分にはなかったが聞けば共感できるような視点の話を聞くのが嬉しい
まあこれは感想系の記事に限った話ではあるけれど個人ブログの最も定番なジャンルは何かしらの出来事に関する感想を述べるタイプのものだと思う。
ただ、そういう感覚的な楽しみだけでなく、純粋に興味や実益のある知識の共有が嬉しいというところももちろんあると思う。ググるときは大抵そもそも何か知りたいことがあるのだし。
ブログを見て何が楽しいか その2(知識的面白さ):
- 興味のある知識を得る
- 実益のある知識を得る
はたまた、そんなことではなく、エッセーとして読んで面白いような文章を目にすることもある。語っている出来事やアイディアが面白いということもあるし、語り口が面白いということもある。
ブログを見て何が楽しいか その3(文学的面白さ):
- 語っている出来事自体が面白い
- 語っているアイディアが面白い
- 語り口が面白い
こうしてざっくり3つに分けてブログの楽しさを書いたが、日記のような形式を取る最も基本的なタイプの個人ブログでは、1の共感的面白さがメインになってくると思う。
いわゆる「自己満足で書き散らしているもの」が他人に面白がってもらえるのはこの1の面白さのおかげだと思う。 このタイプの面白さは気ままに自分の思った通りの出来事や物事に対する感想をわかりやすく書いてくれればそれで生まれてくるというものだ。ただ、感覚をそのままつらつらと素直に簡潔に書く、ということができるのもそれはそれで結構才能だと思う。
2の面白さをメインにしているブログはもう完全に1や3とは別分類になるだろう。Qiitaなんかの記事は全部これ。あるいは巷に蔓延るアフィリエイト系紹介記事もだいたいこれになる。専門知識の紹介はわかりやすく価値を生み出せるし反応ももらえるのでネタさえあれば承認欲求は満たしやすい部類かもしれない。
3の文学的面白さは偶然やセンスによって表れてくることもあるけれど、これを重視している人というのはもう物書きということに対する意識がかなり高い人で、特に年齢層の高い人なんかに多く見られる。
さてさてここまで書いてきたところで一つ見えてくるのはこの記事の立ち位置は、ということである。この記事は専門知識を語るようなものでもなく、文学的面白さを達成すべく吟味されたようなものでもない。個人の考えの書き散らしでも1の面白さが残っているのでは、と思われるかもしれないが、この記事はどちらかと言えば分析に重きを置いていて、感覚や体験の共有はほとんどしないものなので、共感を生み出すとはあまり言えないものなのだ。感覚や経験を吐き出すのは人のために価値があるけれど、分析というものは、あまり吐き出して良い類のものではない。
自分はなんとなくこういう分析もどき的なことをうだうだ考えたりするのが好きなのだけれど、正直なところそこにブログというものの需要はほとんどないんじゃなかろうか?